講演会報告:「古墳時代の筑波山信仰:巨石と水の神まつり―源流は?」塩谷修氏 終わる11/13(土)

更新日:2022/12/26
掲載日:2021/11/13

古墳時代の企画展に関連した講演会第3弾、『筑波山信仰の源流―巨石と水の神まつり』塩谷修(しおや・おさむ)氏・川村学園女子大学教授の講演会でした。11/13(土)午後、講堂で50人席一杯の参加者。小林学芸員から塩谷先生の"1分間"経歴紹介では―土浦市立博物館学芸員・同館副館長から現職へ。著書には、『山岳信仰と考古学―六所神社と巨石群』・『前方後円墳の築造と儀礼』・『霞ヶ浦の古墳時代』など多数!とありました。さっそく、2時間の{筑波山をめぐる巨石と河川と村々の神社・古墳・遺跡との紹介}が、レジメとパワーポイントで始まりました。冒頭、{今、住んでいる住宅は、土浦のマンション9階です。真正面に筑波山、遠くに富士山が、日光の二荒山や赤城山も見えます!}と、参加者を羨ましがらせました。以下、発言の一部からです。

⦿本日のお話は、関東を代表する筑波山について、「考古学」と「文献」とから、筑波山信仰の源流、つまり、古墳時代にさかのぼってみようということです。信仰の源流として「巨石の神まつり」と「水の神まつり」について、論理的に説明したいのです。全体の構成は、まず、➀奈良時代の筑波山はどう扱われていたかを、8世紀に作られた『常陸国風土記』と『万葉集』から引用していきます。そこから、さかのぼった古代、古墳時代はどうだったのか?とさらに探る。
⦿②筑波山中の巨石と祭祀としては、山中の巨石・磐座-いわくらとしてあがめられ、やがて平安初期までには神仏習合となってきたこと、③筑波山の南側の南麓一帯に、神社と巨石が信仰の源流となってきた、という仮説を紹介する、④桜川右岸の「中菅間(なかすがま)遺跡」を再評価し、茨城県最大の古墳である「八幡塚(はちまんつか)古墳」の被葬者にまつわる「聖水祭祀」を想定する。
⦿まとめは、あらためて、筑波山が麓の水田を潤す{水源の山}であったこと、南麓の{巨石と水}の「神まつり」が、信仰の源流であったこと。古墳時代の中期から後期には、水田経営と水利を差配する地域首長が祭祀をつかさどっただろうこと。そこには、山の神を迎えて豊かな水の恵みと豊穣を祈る「磐座(いわくら)祭祀(さいし)」と「聖水(せいすい)祭祀」が想定される。
⦿具体的に、筑波山から南麓に一直線のルート上に六所神社(ろくしょ・じんじゃ)への参道があり(写真1)、田植えのときの神輿の道であり、巨石の下からは、土器や鏡や奉献品が出土すること。神社と巨石が一体となっていたり、桜川や河川がちかくにあり、まれにみる古墳群がある。 (聞き手・松尾)
 *"ガマの油とケーブルカーによる岩だらけの筑波山(つくばさん)"、"松戸の江戸川からも紫峰がくっきり見える山"。本日の、講演を聞いて、改めて、筑波山をめぐる肥沃な土地と歴史、古代から条里制のあったこと、大小百を超す古墳が茨城県にあること、その首長たちは誰?。質問のうち"なんで巨石や巨樹や泉に、ひとは神として魅せられるんですか?"→"天上のカミさんが地上に降りる時、目印が必要になるでしょう!"が印象的でした。講演会後、{21世紀の森と広場}に寄ると、松戸アートピクニック(19日まで)の開催中でした―写真3。

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