年に三回開かれる{歴史を語る}は、市立博物館での一味ちがう講演会です。今回は、福田正宏氏・東大准教授による{極東ロシアの考古学}でした。題は、「極東ロシアの考古学と日本列島―日露国際共同研究の最前線」でした。ひとことでいえば、"日本とロシアの学者が、日本の縄文時代、北海道とサハリンと沿海州あたりはどんなだったか?を調査しています"という興味ある内容。12/4土、午後、定員50人満席でした。
■ソ連が崩壊して30年、日ソの北方領土問題ははかどらないままですが、"国境などなかった遠い、紀元前5000年頃の先史時代を探るお話です"と。縄文時代とか弥生時代、古墳、古代、奈良、平安時代といった区分は、"インターナショナルでは通じない"そうで、"旧石器時代とか新石器時代というのが国際語です"とも。"新石器時代のユーラシア大陸、その極東の人類のありさまを探ろう!という学術調査を何十年も続けている"。日本学術振興会(会議)が調査費用を助成してきているという。
■大きくは、極東を3つの地域の地勢と文化圏でとらえ調査している。"大陸のアムール河の中・下流一帯、間宮海峡を挟んだサハリン(樺太)の南部・北部、そしてオホーツク海に面した北海道北東部。これらの先住民たちの生活や文化の同一性や違いを、実証的に、発掘調査の遺物から明らかにしていこう"、という。
■日本では、縄文時代として区分しているが、ロシアでは土器の出現した新石器時代、紀元前2000年頃から古金属器時代・青銅器時代、紀元前1000年頃から5世紀までを前期鉄器時代と編年しているそうだ。北海道の黒曜石がサハリンの南部で見つかれば、交流があったことがわかる。アムール河流域の発掘物と北海道の遺物の相似性があるのかないのか?。アイヌ文化はずっとのちの5,6世紀以降のこと。
■"極東ロシアをシベリアの極寒に連想しがちですが、興安嶺などの大山脈がウラジオストックを中心とした地域に、北海道ほどの四季の季節感をもたらしている"と。なんどかの発掘調査の体験話も織り交ぜて語られる。北海道北見市(旧・常呂町・ところちょう)には「北海文化研究常呂実習施設―東京大学大学院人文社会系研究科」があり、オホーツク文化の遺跡を発掘調査をしているという。福田氏も、数年、在籍され地域協力もされているそうです。日頃の参加者とはちがう、若い方が多く、熱心に聞いていました。
*開催中の横浜ユーラシア文化館{オホーツク文化}の紹介もありました(10/26~12/26)。(記・松尾)