講演会報告:「常盤平団地六十年の生活史」青木俊也/学芸員 3/5終わる №500.

更新日:2022/12/26
掲載日:2022/03/05

 弥生、3月5日(土曜)午後から、「常盤平(ときわだいら)団地の60年の生活史」と題した青木俊也学芸員による講演会が開かれました。友の会共催でした。松戸市内にある常盤平団地は、日本住宅公団(現・UR都市開発機構)による約4800戸の中高層大規模住宅です。1960年(昭和35年)4月の入居から60年が過ぎました。日本でも有数の大規模団地です。当初からの建物群は、高層化や改築がされずに現在に至ってる貴重な団地です。この団地の調査は『常盤平団地60年の生活史』として報告書にまとまる予定ですが、今回は、生活史調査の中間報告として講演されました。
 入居当初は、若い居住者中心の団地でしたが、現在は半数以上が65歳以上の高齢者です。"60年の移り変わり"を―団地の誕生、現状、自治会の活動、日常生活の変化、支援活動、団地の緑化などから、詳細な資料やエピソードとともにお聞きしました。

 講演のなかから―
○1950年代中頃から、都内へ通勤する人々へ首都圏に住宅を建設することは、国としても急務であった。一方、当時の"農村松戸"は、"10万人都市への発展"が市政の課題でもあったこと。金ケ作・五香地区、畑とヤマと呼ばれた雑木林の樹林地、92住戸の51万坪の土地が造成された。戦後の農業経営が軌道にのりはじめた地権者には反対運動の経緯もあった。1960年、4階が大半を占める中層公団住宅・約4800戸(当初)とショピングセンター、病院、小学校などが建ち、入居が始まった。
○"松戸に住みたくてではなく、抽選に当たったから松戸に来た!"という新入居者たち。勤務先はほとんどが東京都区部、転入者の8割は区部からだった。世帯は"夫婦のみか夫婦と幼児"が6割であった。世帯主の年齢は20代~30代。月収3万円から4万円。そして、60年の経過は、高齢化率が松戸市全体の倍ほど、5割を超している。
○常盤平団地自治会・自治会報の存在は大きく、その活動内容からは、その時代の日常生活も知ることが出来る。最近では、{孤独死防止活動}が注目されている。また、"ホコリダイラと云って土埃が舞って空が真黄色になり"(1960年代)、それが"駅前通りのケヤキは成長し、すでに緑豊かな団地と知られていた"(1978年)へ。新京成線の朝の混雑については、"上本郷―松戸間の通勤ラッシュ時の混雑率は、昭和36年にはなんと301%という凄まじい状態"。"新京成電鉄は、昭和30年代の10年間で47両の車両を導入"されたそうです。
(聞き手:松尾から―"葬送儀礼"といった民俗史のお話などを聞かせていただく機会の多かった青木学芸員。この日も"孤独死"のくだりでは、"死体は数日で腐敗してきて、異臭を出す、放っておくわけにはいかない"、"人々の日常を脅かす死"と、くわしい解説も。お疲れ様でした。)ⓐ

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