平野さん紀行文―野島崎へ:野島崎灯台、伝説の岩屋,武田石翁の七福神へ

更新日:2023/06/03
掲載日:2023/04/04

 久しぶりに房総の最南端へ旅行してきました。天気にも恵まれ、白浜と安房鴨川に泊りました。宿の湯船につかりながら、海を眺めることができました。白浜には初めて訪れた所で、野島崎灯台、伝説の岩屋、菜の花畑などを見学してきました。

 〇野島崎灯台は、階段を七十数段のぼれば、展望台へたどりつきます。そこから、太平洋を十分眺められます。参観料は300円。1869年(明治2年)1月10日に仮設灯台点灯、本灯台は同年12月18日に点灯を開始しました。明治維新直後のことです。横須賀市の観音崎灯台に次いで、我が国二番目に古い洋式灯台です。しかし、この灯台は、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で倒壊。二年後、1926年8月、形は以前と同じ八角形ですが、灯台の材質はレンガから鉄筋コンクリートに変更され、復旧しました。これが現在の灯台です。

〇「伝説の岩屋」案内文は、野島崎灯台の近くにあります。1180年、伊豆から安房に渡って来た源頼朝公は勢力的に動き、この野島崎に立ち寄り、矢じりで大岩に「野島山」の三文字を刻んだ伝説があるが史実でもあると云われている。この地で武運再興を願掛けている時、突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ雨をしのいだ。この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所の深海に棲む大蛸の海神は、海面を鎮め豊漁を授け、人々に幸をもたらす事であろう。…2002年白浜町

〇白浜 厳島神社。境内に武田石翁による七福神。武田石翁(たけだ・せきおう。安永8年~安政5年)は、安房の生んだ幕末の優れた石工で、本名を小瀧周治といい、現在の鋸南町元名に住いを有した。この七福神は、野島崎灯台の隣にある厳島神社に安置されており、男神は野ざらし、弁財天のみ神殿に祀られているのが珍しい。

〇「平和の愛鍵」の祠。厳島神社境内。男根・七不思議―ぶらぶらすれども落ちもせず/金があれども通用せず/竿があれども干しもせず/金があれも光なし/縫目あれどもほころびもせず/玉があれどもうてもせず/天を仰ぐこともなし/されど恋を成就し、子宝に恵まれ/すぐれた御利益のある祠なり。

〇房総の菜の花畑。間宮七郎平の努力により、温暖な気候と土壌条件を活かした花栽培は房州に広がり、南房総は、淡路島と並ぶ花の特産地になってきました。そして、戦時中の”花栽培の禁止”という過酷な規制のもと、間宮ハナらの密かな抵抗。おかげで、戦後すぐの”花のある生活”心の豊かさへの再開につながったことも忘れてはならぬ、平和への歴史があります。(報告者:平野正敏会員)

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