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講演会報告:「関宿城と小金城―16世紀後半」中山文人学芸員 2/18終わる

更新日:2024/02/22
掲載日:2024/02/18

 春一番が吹いたあとの暖かい日曜、2/18(日)。市立博物館で中山文人学芸員による{中世後半から戦国期への関宿城と小金城にまつわる}講演会がありました。地元の歴史フアンとお城フアンの方たち、70人を超す会場となりました。演題は「関宿城と小金城―16世紀後半、対立協調から、接収/従属の話―」。当会の共催事業でした。会員も多くが参加されました。

 中世の古文書約20点の配布プリントをもとに、一点づつ読み下しをされ、解説がすすめられていきました。冒頭で、”もともと、中世に関する資料というのは少なく、グレーなことが多いのが実情、地元の小金城の領域がどの程度だったのかも、わからない!のです。…歴史的文書ではなく、物語本からの引用でお話することもあります。”と。           2時間の講演後のアンケートでは、”いろいろな知らない、似た名前の武将の名前が出てきて、むつかしかった!”、”地理の実感がないと分かりにくかった!”、”初めて聞く内容でした、おもしろかった!”と、ありました。以下、お話の一部を紹介します。*館長講演会:4/12(金)「江戸時代の松戸河岸と鮮魚輸送」渡辺尚志/松戸市立博物館館長 14:00~16:00 無料 申し込み受付中、友の会検索ページからクリックしてください。                                                                                           ▽     ▽     ▽                                 ◎関宿城初見?―『鎌倉大草子』によると、1455年、「享徳の乱」の初期、簗田氏(やなだし)による関宿城の記事が見える。 当時、房総(千葉県)の城としては、本佐倉(もとさくら)城、臼井城(酒々井町)、松戸の小金城の三つが大きかった。関宿城(野田市、旧・関宿町)は、戦乱もあって、正確な城郭の大きさは不明だが、利根川と太日川(ふとひかわ、江戸川)との要衝にあり、重要な拠点であったこと。江戸川の流路は、中世・江戸時代・現在とは大きくちがうこと、当時、河川の集中と水上交通の重要性を強調。                                   ◎1527年、古河公方の足利一族のうち、父(足利政氏)と嫡子(足利高基)と庶子(足利義明・小弓公方)との三つ巴の戦いとなったこと。この年、小金領を縦断する諸軍団のありさまが推定され、根木内城(ねぎうちじょう、小金城築城以前にあった近くの城)の下流にあたる名都狩城(なつがり・じょう,流山市名都借)でも合戦があった。最近、この名都狩合戦について、新しく古文書が発見された―{小弓公方の義明は関宿城攻撃を行い、敗退し、名都狩へ退却したおりの、古河公方の高基方からの攻撃だった}ことを意味する初めての内容。名都狩城は近くの前ヶ崎城(運転免許センター近く)だったのかも?の疑問もある。                            ◎1555年~1570年頃の東国の戦局図の紹介。①北陸の巨大勢力・上杉謙信の南下、②関東制圧で進出する北条氏康・氏政、さらに、③権威のある古河公方、④房総の里見氏、⑤常陸の佐竹・北関東の宇都宮、⑥甲州の武田氏、以上の6つの勢力が関東の動乱となっていたこと。1560年に桶狭間の合戦があり、直後、上杉謙信は関東へ初侵入し小田原城包囲。翌年、謙信は鶴岡八幡宮で足利幕府からの関東管領職へ就任する。属していた簗田氏は関宿城へ復帰する。                                    ◎1564年第二次国府台合戦、65年北条氏康、関宿攻撃、66年謙信ら臼井城で敗退(謙信の南下終了へ)、68年~69年列島のオールスター勢ぞろい。上杉は武田、そして北条と秘密和平を結ぶ。1574年、最後の関宿合戦へ。簗田氏は謙信らに応援を頼むが、北条氏の攻撃により開城し、本拠地だった水海城へ追いやられる。こうして関宿城は1590年、豊臣秀吉によって北条氏が討たれるまで北条氏の支配下に置かれる。                               ◎1584年、小金城主・高城胤則(たかぎ・たねのり)からの須和田寺社中への印判状の説明―「このたび、小田原御普請ならびに牛久御番同時に仰せつけられ候…」という依頼状。高城氏が北条氏のもとにいて、軍役の負担を求められている内容。小金城の城主は千葉氏系~原氏~高城氏へと変わってきたが、北条方に従いた高城氏も秀吉軍によって、関宿城と同じく開城となる。  (聞き手・松尾)

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