関家古文書から:「旧幕府時代の助郷制度の廃止」金井勝忠会員

更新日:2024/08/22
掲載日:2024/08/10

 月刊タウン誌『新松戸』には、{関さんの蔵通信}という好評なページが毎号掲載されています。「関さんの森―古文書の会」の会員が、交代で話題を提供しています。その一人の金井勝忠さんは、当友の会の「古文書部会」の世話人でもあります。今回は、『新松戸』8月号から、金井さんの「旧幕府時代の助郷制度の廃止」を一部紹介します。

助郷制度の廃止の経緯―今回は明治初年に実施された助郷の廃止を取り上げます。明治新政府は維新の改革とともに、明治元年(1868)5月、諸国道筋の関所・番所を停止。その翌年、明治2年2月に廃止しました。旧水戸街道の金町関所もこのとき廃止されました。     ◎政府はさらに、旧幕府時代の駅制である伝馬の制、とくに助郷制度が永年にわたって沿道農民を苦しめてきたことを認め、その改革を図ろうとしました。しかし、良い制度ができず、旧問屋場を伝馬所と改称して、そのまま駅逓業務を担当させていました。           ◎その間も駅逓司における検討は続き、明治4年1月、郵便逓送は国営、貨物輸送は民営にすることとし、ここで初めて全国各駅の官設伝馬所は全廃。民設の「陸運会社」に移行する基本方針が定まりました。

◎同年5月、まず「東海道陸運会社」を制定して、関係府県に通達するとともに、官吏を沿道各駅に派遣。その設立を勧誘しました(松戸市史下巻明治編)。その後、「内国通運会社」となり、さらに「日本通運」となりました。  

◎助郷制度の廃止の太政官布達―関家の文書の「明治五年御用留」に、太政官による布達が書き留められています(現物の写真あり、略)。意訳ー{8月末日をもって、助郷その他のこれに属する負担があっても、官よりの支給米を停止する、伝馬所のある宿駅へ各々決めた賃銭で取り扱う陸運会社、あるいは決めた賃銭で人馬による輸送を行う取次所を設けること。(以下、略)。}                     ◎布達の実施に伴い、小金宿の助郷村の一つであった幸谷村も、人馬の派遣や伝馬所の役人の給金の負担が軽減され、村民も助かったものと思われますが、小金宿の輸送の民営化やその運営が軌道に乗るまで、どのような状況をたどったのか興味があるところです。