館長講演会:「江戸時代の小金牧と周辺の村々」渡辺尚志館長、8/24・25開催
松戸市立博物館館長講演会は、渡辺尚志館長により8/24(土)と8/25(日)の二回、開かれました。演題は「江戸時代の小金牧と周辺村々」。今回の講演会には、応募者がとても多く、博物館講堂の定員80席一回では、あまりに多くの方が抽選に外れてしまいました。そこで、急きょ、落選者を含めた二回目の講演会が翌25日にも、開催される運びとなりました。 今回の講演会のテーマは2つ。一つ目のテーマは、「江戸時代の小金牧と周辺村々」。周辺の村々となっているが、実際には、「金ヶ作村」の話が多かった。 まず、小金牧について。江戸時代、馬は生活に欠かせないパートナー。武士の乗用、百姓には農耕用・運搬用、馬糞は肥料にもなった。その為に、野馬(のま)として、半野生状態で牧(まき)、端的に言うなら馬の牧場があった。現・松戸市域を含む千葉県北西部の台地に、政府(幕府)直営の広大な牧が存在した。 小金牧(こがねまき)もその一つで、「小金五牧」といい、南北約43キロ、東西最大6キロ。小金牧全体で馬の数は、1000~1800疋(ひき)もいた。そういう牧の話から、馬を囲いに追い込んで捕獲するための「捕込(とっこめ)」や、牧から馬が逃げ出さないように作った「野馬除土手(のまよけ土手)」などの説明へ。 年に1回行われた「野馬捕り」の話や、その際、牧周辺の村々の百姓の仕事や役目などの説明があった。現在でも、松戸市六高台や鎌ヶ谷市に「野馬除土手」が残っているとの事だった。 二つ目のテーマは、八代将軍・徳川吉宗の時の、新田開発とそれを担った村について。現在の「金ヶ作(かねがさく)」に陣屋(代官所)が置かれ、百姓達があらたな田畑の開墾や、野馬除土手の修復などを担うことになった。陣屋は政府(幕府)の出張所の役割りを担っており、百姓たちからの願い事や訴訟を受け付けていた。そのため、金ヶ作村には「御用宿」という宿が出来て、陣屋に訪れる百姓を泊めていた。このような事から、金ヶ作は{牧と陣屋から生まれた唯一無二の性格をもった村}になった。 以上、野馬の事だけでなく、周辺の村の労力、負担にも話は及び、とても収穫の多い講演会だった。 (K・I記) |