6月例会は6/10(金)午前中、市民劇場会議室で開かれました。9/16金・『隠居屋』(南花島)で{自主発表と市民向け朗読講座}を開くことを決めました。また、10月9日(日)に、市内「矢切の渡し」の場所で、青空朗読会『野菊の墓』(分担割全編朗読)を開けるよう、まとめていくことになりました。7月例会:7/8(金)勤労会館、8月例会:夏休みか8/12(金)勤労会館、9月例会:9/9(金)勤労会館です。 *10/9→10/16(日)で実施。
今月予定の朗読鑑賞CDの漱石『坊ちゃん』は来月にして、朗読CD「文学のしずく、あらすじで読む日本の名著―『野菊の墓』」からになりました。これは、10月予定の{屋外朗読会}の『野菊の墓』を、"声出しをしてみよう!"となったからでした。みな、事前の準備もなく、その場で、席順・一人10分ほどの"音読・朗読まがい"でチャレンジへ。1編70分くらいの長さですが、一度は読んだか、話のストーリイは承知の掌編。それでは、『野菊の墓』では誰が、一番気の毒、可哀そうでしょうか?と問い。死んだ民子か、いまなお追想する主人公の僕・政夫か?。続編をあなたが書くなら、誰を中心にどう展開していきますか?という話になりました。
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『野菊の墓』伊藤左千夫: 明治維新の4年前・1864年、伊藤左千夫(いとう・さちお、本名・幸次郎)は、現在の千葉県成東(なるとう)の農家の四男として生まれました。49歳、1913年(大正2年)に亡くなります。42歳、短歌会の「ホトトギス」に『野菊の墓』を発表しています。牛乳搾取業を生計にし、今の錦糸町駅前辺りに、住んでいたこともあるそうです。左千夫自身は、{「矢切の渡し」周辺に来たことはない}とされ、創作上の場所とされています。
☮「後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼ない訳とは思うが何分にも忘れることが出来ない。…」
(Aさんから朗読)―冒頭部分をかなりメリハリつけて読まれ出す。
☮「僕が三日置きに母の薬を取りに松戸へゆく。どうかすると帰りが晩くなる。民子は三度も四度も裏坂の上まで出て渡 し の方を見ていたそうで、…」。(Bさん)―"母親"や"僕"の会話が入って来る。工夫の声だしを試みる!。
☮「それでも或日の四時過ぎに、母の言いつけで僕が背戸の茄子畑に茄子をもいで居ると、いつのまにか民子が笊を手
に持って、僕の後にきていた。…」(Cさん)―10月のイベントには参加しないので朗読は辞退するも、今日は今日!
☮「親というものは何処の親も同じで、吾子をいつまでも児供のように思うている。…」 (Dさん)―久しぶりの参加、早い
口調に、聞く方がせかされてくる。
☮「僕の母なども其一人に漏れない。…」(Eさん)―テキストを持参せず、お隣りと共用しての読み進みへ。(次回、配布)
☮「陰暦の九月十三日、今夜が豆の月だという日の朝、露霜が降りたと思うほど冷たい。其替り天気はきらきらしてい
る。…」(Fさん)―体調不良、原因不明のなかの参加。数少ない男性の硬派な読み方。
☮「村のものらも彼是いうと聞いているので、二人揃うてゆくも人前恥かしく、急いで村を通り抜けようとの考えから、…」
(Gさん)―女性としては低音の声音、はっきりと聞こえてくる。
☮「暫くは黙っていたけれど、いつまで話もしないでいるは猶おかしい様に思って、無理と話を考え出す。…」(Hさん)―み
なが読みだしてから1時間、声出しも聞く方も慣れて落ち着き出す。
☮「三方林で囲まれ、南が開いて他所の畑とつづいている。北が高く南が低い傾斜になっている。母の推察通り、棉は未
にはなっているが、…」(Iさん―)ベテランの登場。さすがに急な割り当てとなると、発表会での情感・声調とは違い、間違
いなく字面を追う方が先になるようでしたが、各人、納得の響きを聞くことができました。
☮「民子は襷掛僕はシャツに肩を脱いで一心に採って三時間許りの間に七分通り片づけてしまった。もう跡はわけないか
ら弁当にしようと…」(Jさん)―この日の進行役でしたが、張り切って、フリガナ一覧表も配布され、元気よく声出しへ。
以下、略。