上野牧(かみのまき)野馬除き土手調査第3弾! 野々下の野馬土手と金乗院(こんじょういん)のシシ落とし

更新日:2023/06/11
掲載日:2023/06/09

投稿が遅くなりました。

今回は、上野牧(かみのまき)の野馬土手の実踏です。豊四季駅から野々下にあった野馬土手や、長崎1丁目にある四重土手の遺構を確認するために行いました。当初の計画では、4月26日に実施する予定でしたが、あいにくの雨となり5月24日に行いました。

当日は5月晴れで歩くのにはちょうど良い陽気の中で行いました。

豊四季駅の構内を渡り駅前の道を野々下方面へ、住宅地の中を歩きこんなところに野馬土手があったのかと不安な気持ちの中進みました。迅速図を頼りに歩き、途中野馬土手らしきところが何か所かありましたが、最終的に野々下3丁目ではっきりとした野馬土手を見つけることができました。(写真1)

続いて、野々下4丁目付近にあった野馬土手を探しに歩みを進めました。

住宅地が突然大きく空いているところで少し小高くなっているところを見つけ、会員一同これは地図にに載っている野馬土手ではないか、さらに二重土手になっているのを確認し、野々下4丁目の野馬土手であることに自信を深めました。(写真2.3)その後、流山市立長崎小学校の脇を通り、長崎1丁目のある台地を上り天星山金乗院(てんせいざん、こんじょういん)(写真4)で一休み。

その際にある会員から、ここ金乗院では流山市で遺跡の調査をしたところ、縄文時代の遺跡とともに江戸時代の遺構として牧があった時代の『シシ落とし(田畑を守るために落とし穴を作って害獣を捕まえた『シシ落とし』(猪穴)』が見つかったという話を聞きました。30メートルほどの距離に14個の穴があり、深さが2メートルほどの遺構だったそうです。あらためて、牧の中にいる馬が外に出て農作物を荒らさないようにする野馬土手と牧の中に生息する猪や鹿などの害獣に対する対策を講じながら作物を作る牧の周辺に住む農民の姿を歴史とともに感じる実踏でした。

長くなりましたので、長崎1丁目の野馬土手の話は、次回とします。奥が深い野馬土手調査でした。

 

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