下野牧の大込めの広さと鎌ヶ谷大仏駅付近の野馬土手跡を見る
こんにちは。 11月の野馬土手散策は、表題の通り「下野牧の大込の広さと鎌ヶ谷大仏駅付近の野馬土手跡を見る」と題して行いました。 今回も前回に引き続き鎌ヶ谷大仏駅に集合しました。 鎌ヶ谷大仏駅から小金道と木下街道の交差点を右に回り、先月訪れた咲が丘大込公園(左から1枚目)からスタートです。まずは、現在は野馬土手遺構は消えてしまいましたが、迅速図や明治時代の測量地図を片手に下野牧の北側の外周部分の場所を辿りながら歩きました。地図によると大きな鉄塔(東京電力江東線)に沿って川が流れており低地が川沿いに続いています。 今回は、青木更吉氏の「野馬土手は泣いている」にも掲載されていた「割烹 御代川(おみがわ)」を目指します。ここには下野牧があった頃には大込めの中にある野馬の水飲み場があった場所と記されていましたのでここを通過するわけにはいけません。地形を確認しながら細い道を歩くこと20分少し低いところに「割烹 御代川」(写真 左から2枚目)を見つけることができました。この場に立つと周辺はすでに宅地化されており、面影を残す野馬土手を確認できる遺構はありません。しかし、北側から川が流れ込んでおり周囲より一段低くなっているので、野馬が水を飲んだ様子が伺うことができました。(左から3枚目) 「割烹 御代川」の女将である方に話を聞くことができました。以前は、野馬土手があったそうで野馬の水飲み場であったとのことで、「割烹 御代川」はお店の営業を閉めたことや割烹料理を営業する前には釣り堀をしていたそうです。色々な話を伺いながら周辺を調査するも野馬土手の遺構は見つからないものの野馬の水飲み場であったことは発見です。この付近から東側へみやぎ台2丁目まで続く野馬土手は発見できませんでした。 その後、この川沿いに南下していきます。歩くこと5分程度で小金道までやってきました。この道沿いに大込を囲う野馬土手があったはずですが遺構は見つかりません。小金道を横断し新京成の踏切付近まで来たところで、野馬土手も二つに分かれ一つは南の方向へ二和にある谷地に向かう野馬土手と鎌ヶ谷駅付近まで伸びる野馬土手がありました。(写真 左から4枚目)ほぼ、ここまでが歩いてきた道のりが下野牧の大込めがあった場所となります。かなり広い大込めです。 下野牧の野馬追の時には、今の千葉市や八千代市のほうから、各村々の農民達がかり出された勢子が野馬を追い立て、大込めまでの長い道のりを追ってゆく姿を想像すると江戸時代の苦労が偲ばれる道中でした。 今回も、少し長くなるので次号に続きますが、次は踏切を渡り鎌ヶ谷駅周辺に残る野馬土手について報告いたします。 | |