講演会報告:『あの日の松戸展』11/12まで―林幸太郎学芸員
現在開催中の、松戸市立博物館企画展『あの日の松戸』は11/12(日)までです。{写真で振り返る150年}というサブタイトルのように、松戸市の市制80周年と千葉県誕生150年の記録紹介です。見学者には、受付で写真集(A4・30ページ)を配布しています。入場無料・冊子無料です。会場展示パンフレット『松戸のあゆみ・年表』とともに、貴重な写真ガイドにもなります。ご利用ください。 展示を担当された林幸太郎学芸員による講演会{写真と文書でふりかえる”松戸”-松戸町・坂川普通水利組合・陸軍工兵学校}が、10/29(日)講堂で開催されました。80人席に倍の応募者があり、回数を増やすほどでした。当会の共催事業でもありました。以下、講演内容の一部を紹介します。 ●明治維新1868年から以降、150年の松戸の歴史を企画展で紹介していますが、ここでは、その中からいくつかを深堀をしていきます。 はじめに、松戸市域の移り変わりです。1888年(明治21)町村制の公布があり、約50のムラが松戸町・明(あきら)村・八柱村・馬橋村・高木村・小金町の6町村に統合されました。松戸町には東葛飾郡の郡役所が置かれ、松戸町役場も現在のキテミテマツド(旧・伊勢丹)付近に設置されました。 ●1926年~大正時代の松戸町の病院―山下病院の開業や院長の山下寅吉の中等教育への充実への活動を紹介。一方、1896年(明治29)に土浦―田端間の鉄道が開通します。松戸・柏・我孫子の3駅が誕生しました。1927年(昭和2)木造だった葛飾橋が500m下流に鉄筋に架け替えられる。1936年(昭和11)常磐線松戸ー上野の電化工事が竣工。それまでのヒト・モノの輸送・物流の変化を、船→トラック→鉄道へ人物・会社名で紹介。 ●1919年(大正8)松戸の相模台に陸軍工兵学校が設立され、全国から工兵関係者が集まったことは、松戸の発展に寄与したこと。とくに、関東大震災の発生の時期では治安維持に出動し、”流言妄言を抑止”した出来事をとりあげる。 ●松戸の歴史にあっては、江戸時代からの坂川治水が課題であったこと。江戸川低湿地帯(下谷)上郷村々と下流域の下郷村々との治水をめぐる話。1903年(明治36)「元小金領字坂川悪水路弐拾五ケ村組合」の坂川普通水利組合が認可される。旧慣習から近代法律への合意形成へ。1909年、樋野口排水機場が建設され、約30インチ(76㎝)遠心ポンプ6台が稼働。抜群の成果により、安定性のある水田に変化させた。 ●終わりに、昭和の初めには{”松戸は東京との結びつきで常に発展してきたこと”が、”松戸市自らのアイデンティ―へのあり方には疑問?”}という、指摘も起こっていた。市民各位が、改めて、松戸の発展を考えていってほしいことです。 (聞き手・松尾) |