講演会報告:武人埴輪(ぶじん・はにわ)からみた古墳時代ー藤原哲学芸員 1/28

更新日:2024/02/21
掲載日:2024/01/28

 冷たい寒気、能登半島地震の報道が続くなか、古墳時代のとくに武人姿の埴輪をめぐる講演会がありました。1/28(日)午後から2時間、博物館講堂で、藤原哲(ふじわら・さとし)学芸員から{埴輪からみた古墳時代の武人と武装}と題した講演会がありました。60人を超す”古墳大好きフアン!”が講堂を埋めました。友の会の共催イベントでした。今年度5回目、司会の吉崎さんが”弥生・古墳時代の軍事組織の研究者です!”と講師紹介。                     

 藤原学芸員の若さのあるハッキリした話し方でした。古墳時代の埴輪(はにわ)の画像を紹介しつつ、とくに武人(ぶじん・武装姿のはにわ像)から読み解く、”考古学のおもしろさ”の案内でした。

実証的には、木材・皮革、金属さえ、残念ながら腐食・消滅してしまうのが時間・歴史の経過です。消滅してしまった物証のかけらが発掘されても全体像や用途はわかりません。事実の証明づくりが困難です。そこに、埴輪の造形が実は役立つことになります。埴輪が”当時の説明役”をしてくれる?!ということでした。以下、講演からの一部です。     

                ▽   ▽    ▽                                 〇埴輪(はにわ)とは何か?ということから話しますと、それだけで、ひと講演になってしまいます。記紀(古事記・日本書記)の伝承例では、垂仁天皇のとき”殉死のかわりに何かいい方法がないか?”となって、”ノミノスクネがハニワの案を出した”ともいわれています。                     〇「はにわ」というと人物のイメージが多いでしょうが、研究者的には、土管のような「円筒埴輪」(えんとう・はにわ)が起源となります。弥生時代の後期から古墳のような埋葬形式が現れだし、そこの台上のまわりに一個づつハニワが置かれるようになりました。特殊器台(とくしゅきだい)と呼ばれる造形物です。3世紀から6世紀の300年くらいの出来事です。                       〇初めは、面白みのない円筒、三段づくりなどでしたが、だんだん、形象埴輪(けいしょう・はにわ)と呼ばれる鶏や動物や家の形のものもあらわれ、最後には、人物のものが作られてきました。古墳時代の主に後半の頃に、武人埴輪(ぶじんはにわ)があらわれます。            〇もともと、古墳の歴史をみても、奈良や京都近くの古墳が、大きいものからだんだん小さくなり、造られなくなります。埴輪も関東に多く残っているのは、文化の伝達が円周的な変化・継承ということと関係するのでしょう、余談ですが!。                          〇「武人の埴輪」のことでは、鎧(よろい)の2種類を知ってください。「板よろい(板甲・鎧)」と「こざねよろい」(小札甲)です。前者は鉄や皮、板などで組み合わせた一枚モノを合わせ、胸と背中に着ける装備です。ヨーロッパの甲冑姿がそれです。造るのは容易ですが、動きにくいのが欠点です。後者は、日本の武者姿に見られる、小さい札状の鉄片や皮革をいくつもつなぎ合わせたヨロイです。4000枚くらいを使ったりしてる例もあります。動きやすいことですが手間がかかります。古墳時代の前期は「板よろい」、後期は「小札よろい」となっていきます。                                         〇こうした武具は、歳月で埋没し、腐食し、ばらばらとなり、消滅していきます。博物館で展示されてもイメージしにくいです。そこに、埴輪の武人像の造形が”手掛かりを伝えてくれる”ことになります。ー以上、前半、休憩へ!                                 *後半は、騎馬民族の話、高句麗の存在、国宝の話などから、 武人埴輪の造形の詳細へ。頭部-衝角付兜(しょうかくつき・かぶと)・錣(しころ)、体部、胴部、腰、肩、腕、服装、弓・矢、刀、色彩、足元、男女の違い、など詳細な比較説明へ。埴輪のリアルさが考古学上の装備品・使い方の手助けになっている説明へ。                                   〇最後に、人物埴輪とくに武人埴輪からは、その姿から階層が三種類あること、首長クラス像、先頭指揮者クラス像、盾を持つ実戦者クラス像がみられること。こうして、古墳時代の後期には、軍事的な階層をうかがうことができる。ということでした。   (聞き手・松尾)

%e5%9f%b4%e8%bc%aa%e6%ad%a6%e4%ba%ba1