本の紹介:松戸の江戸時代を知る{川と向き合う―江戸川と坂川の治水}渡辺尚志/館長著

更新日:2024/07/15
掲載日:2024/07/03

 6月に松戸市民、50万人達成!。その松戸市は案外と、河川の街でもあります。北海道似の5キロ四方の地形、大きくは、西側に江戸川がとうとうと流れていますが、中央西側部には坂川と新坂川が流れ、東部には富士川・春木川、南部には国分川があります。房総台地の北端にある松戸の地形は台地3分の2、3分の1が低地です。

 このほど、渡辺尚志(わたなべ・たかし)/松戸市立博物館館長は、『川と向き合う江戸時代―江戸川と坂川の治水をめぐって』を刊行されました。{松戸の江戸時代を知る}シリーズの第3弾!です。(*たけしま出版・1200円(税別)・☎/FAX 04ー7167-1381)。これまでの『小金町と周辺の村々』①・『大谷口村大熊家文書から読み解く』②に続く松戸の江戸時代シリーズになります。

 小冊子135ページは5章ですが、おりおりに写真・図版が入り、会話調なので気楽に読めます。以下、プロローグなどからご案内ー        第1章:江戸時代の村・百姓と水とのかかわりを、お話します。   第2章:江戸川の200キロの治水、水害防止の歴史を取り上げます。               第3章:下谷地域の水害防止として、坂川が拡張されていく20か村の前半の歴史。                              第4章:坂川改修の後半、1800年代の掘り継ぎ騒動と合意。     江戸幕府に御普請を嘆願した最初から、56年(1781年~1835年)かかって完成へ。流山の鰭ヶ崎(ひれがさき)から大谷口・古ヶ崎・松戸宿を通り、小山から市川村へと坂川の新水路はできあがる。鰭ヶ崎村名主の渡辺庄左エ門(しょうざえもん)は、多額の負担をしています。                              第5章:新水路完成後の課題。自己負担とは別に、水路への用地や潰れ地への補償では出願のうち12村は、幕府から3600両を拝借。その返済は?、工事関連23か村からは人足負担への軽減嘆願。三代にわたって1000両以上も立て替えた庄左エ門への批判。こうしてできた坂川でしたが、水害を防ぐことは、明治42年(1909年)になってからの樋野口(ひのぐち)排水機場が設けれれてから、という。

 新流路坂川の建設をめぐる近辺の村々の、利害や負担をめぐる顛末、その判断基準など、なかなかの読み物です。具体的なプラン提言や地域指導者の役割、地域社会の利害への対応など、学ぶ報告となります

*なお、同じ演題名で渡辺館長講演会が昨年11月11日に開かれ、当ネットにて紹介文を掲載してあります。合わせてご覧ください。(松尾・記)

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